この話は、私が叶えた夢がどれだけ尊いことかを伝える話。
『死にたがり』という曲をご存じだろうか。或いは『くたばれPTA』『ペテン師が笑う頃に』。2010年頃ボカロPの梨本うい氏が発表し、私が高校から大学に進学する頃に流行した曲だ。
ありがとう https://t.co/YCcpQGx8nC
— 梨本うい (@nashimotowe) May 25, 2023
また『十面相』という曲をご存じだろうか。或いは『オーバーテクノロジー』。こちらは2011年頃同じくボカロPであるYM(ヨシヤ)氏が発表し、大流行した。
【12周年】「十面相」がニコニコ動画に投稿されたのは2011年1月14日https://t.co/rMEz7BPAUL
— ニコニコニュース (@nico_nico_news) January 13, 2023
YMさん(@YM_yoshiya)が投稿した本楽曲は、加速していく曲構成と十の性格を持つGUMIのイラストが話題を集めました。
再生数は3,509,876回にのぼり、動画につけられたコメント数は59,556件を超えています pic.twitter.com/mtXc0oL5TX
高校に入学した私は、友人に「これから来るから」とニコニコ動画のIDの順番待ちをさせられて100万台のユーザーIDを持つ。
高校の2・3年は選抜クラスでクラス替えもなく、その際に生主と歌い手を始めた別の友人がいた。絵師として勧誘を受け、そのままSkypeでコラボ等を行った際に、自身も生主活動を行なうことを決める。
ボーカロイドの機械音が苦手だった。けれど、YM氏の『 レゾンデートル頂戴』という曲を聞いて、息遣いなどの調声に衝撃を受け、始めて歌ってみたを収録する。
全ての黒歴史は抹消してしまったけれど、当時は公式に歌ってみたリンクを作ってくれて感動していた。
また、その後「彼女なしでは映像制作サークルを立ち上げなかった友人(当時は友人の友人)」と親しくなった。そのきっかけが「私もレゾンデートル頂戴めっちゃ好きだったからアレ歌ってくれて嬉しかった」と話しかけてくれたことだった。
またバンド曲『残像』を無理やり落としてウォークマンで聞き続ける。音源で男性という事を知り意外だった。
前後関係がわからないが、人より金欠だった私は、応援するアーティストも限定され、YM氏と梨本うい氏の二人に傾倒する。画像は『くたばれPTA』を友人と投稿した際の元画像。AEとかで動画にした。
また、梨本うい氏をリスペクトした楽曲等が作られ、音楽という直情的表現で公開ファンレターを送ったファンもいた。「才能があればその高みにも声を轟かせられるのか」と本人巡回済みタグを見て強烈な嫉妬を覚える。
ファンレターを送るのは烏滸がましい人間だったので「あなたたちの言葉選びや音楽がどれだけ私の人生に影響を与えたか」表現で昇華して恩返しをしたいと思った。
これもサムネイルがあるので歌ったらしい。
大学時代はネット活動と自主製作映画に熱中していた。その延長で、バンドマンの知人や、その横のつながりや友人がライブハウスの店長になったりして、MVやPVを任されるようになる。
2012.4.28、ニコニコ超会議に行った。これは梨本うい氏がボカロとバンドの新譜を出したからだった。
何回か遠巻きに見たり通り過ぎたり今も「あれが」を覚えている。他の人に習ってサインを貰った時に「うつっちゃうかもしれないから」と息を吹きかけて乾かしてくれた。驕ることのない腰の低さに感動した。
自主製作映画は基本的に著作権や肖像権を気にしだすと、誰も首を縦に振らなかったので、基本的に内輪だった。
ただ、新譜の曲が好きすぎて、勇気を出して許可を取ってみることにした。
講義で隣の席になっただけの子をサークルに入れる位には積極的だったけれど、この文章は今でも動悸がする。こんなクソ大学生を相手にしてくれるなんて。ここでもまた驕らない姿勢に感動する。
一方で、映画は脚本や撮影まで考えていたが、キャスティングとキャストの就活都合で撮影が困難になった。この時の私はなんて連絡したらいいのかもわからず、もう生涯、梨本うい氏に顔向けできないと思った。
2014.6.15、初めてのライブ参戦。大学の野外ライブや撮影や友人のライブ以外で自発的なライブ参戦はこれが初めて。
梨本うい氏の『あらいやかしこ』を目当てに行ったが、YM氏の『RubberJonny』も一緒。大好きで妬ましいあの人はもういない。
ブラック企業で何か月も前から申請していた休み。取引先の応援(無給)が入り、上長に許可を得て抜け出すも、私を食事に誘おうとしていた社長は不在に激怒。ライブハウスで着信がやまない。
翌日に社長室に呼び出されることになったのだけれど、ライブどころの騒ぎじゃなかった。本当にもったいないし、本当に悔しい。
2016.4.30作曲をしていた先輩がボマスの売り子を探しているというので、潜り込む。設営段階から「梨本うい氏とアゴアニキ氏が近い・・・」と動揺。先輩の優しさもあり、混雑前にと多分開場前か何かにアゴアニキ氏に写真を撮ってもらうというド失礼。
自分のデブスさに目を瞑って一生の家宝ですね。遠近法ではないんですよ。退職した時にamazonのクリスマスセールでEOS kiss7を買ったんですが、梨本うい氏が同商品を購入していたのはその後でした。カメラを見て「僕のと一緒ですね」みたいなことを云ってくれた。
厄介ファン、いや厄介ファンではあるけど、持ち物揃えたりそういうストーキングタイプの事はしないので嬉しい偶然です。消しゴムハンコとか大学時代の趣味で、なんかそういう偶然が色々緊張のディスコミュニケーションで語弊を招きそうで心配。
2016.6.4のライブ映像へのコメント。普段コメントもしない人、よほどこの楽曲が好きだった。記録しないもしないタイプなのでわからないけれど、神奈川時代からちょこちょこ参戦してた。他のライブは母校のゲストくらいしか行かなかった。
2018.7.10に、Vo&Gt.YM+Ba.梨本うい+Dr.ユウスケ『モノノケノノモ』結成。
自分としては、小5から唯一芸能人で好きだったの堂本剛が、高校から唯一二次元で好きだった銀魂の高杉晋助役をやると知った時くらいの衝撃。
2019.3.29に上京。ライブの参戦率も高頻度に。ライブの看板みたいな写真も探せばあるでしょうがキリがないのでやめます。2020年はあらいやかしこ10周年ということで、ライブいっぱいやります宣言で「東京に出てきて唯一良かったことだな」と心底思う。
一方で、コロナが騒ぎ出し、10周年がお祝いできなくなってしまった。正直「あらいやかしこのお祝いライブ」でも良かったと個人的には思う。梨本うい氏は直ぐに企画をリモート配信に切り替えて「イベント」のようにした。もっと祝いたかったな。
私が危惧していたのは、リモート配信が浸透していない中、Youtube配信をすることだった。現代人は特に無料で提供されるものにお金を支払うことをしない。
上手く呼び水にできないかと、チケット代やドリンク代と茶化して投げ銭をしたりする。モノノケノノモというもの自体が、それぞれが持つバンドが本気すぎてその息抜きのお祭りのイメージだったから。お金がないと店を畳まざるをえない。
というのは、友人のライブハウスなどのクラウドファンディングを見ていて思った。バンドマンとか。色々。
2021.1.6にはバーイベントに行った。正直「この人たちのスタンスでそういうイベントに出るって困ってんじゃないのかな」と邪推していた。
その前年くらいに梨本うい氏に馬鹿みたいなファンレターを送った。恥ずかしいので手元に残してない。夜中に泣きながら配信する様を見て、表現でとか云ってる場合じゃないと思ったのだった。「ファンとしてじゃなく表現で昇華させて対等な立場で称賛したい」みたいな事を書いた気がする。うわ。
その時に「映画を完遂出来ないで逃げやがった湯山」を初めて彼らの前に出した。ずっと見てるし、彼らの幸せのために出来る限りのことだけはしたいと伝えたくて。それまでは、グッズを買ってそそくさと帰るやつだった。
バーイベントで名刺を渡しつつ「認知はされたくない」と面倒くさいことを云っていた。憧れに救われてんだから、嫌われるかもしれない恐怖なんていらんのだ。とはいえ、憧れが潰えてしまうかもしれない事態なので、周知されても呼び水になろうと努力した。
今思うと、自分が飲み食い削って何してんだと思う。
で、徐々に実地に行くようになるも、余りにも人数が少ない。おっかけが大金を投げるのは見ていたけれど。忘れられたくないという願い的にも彼らは新規獲得を目指しているように映った。
ライブハウスに行っても、良い音なのに歌詞が聞き取れず、その後に繋がらないことが多くあった。だから、ライブの温度感に歌詞を載せて発信しようとした。
モノノケノノモのライブは撮影OKと聞いた。その撮影は恐らくスマホを指すだろう。21.5.28のライブにdjiを持って行った。3軸ジンバルの手持ちスタビライザー。加えて、ZOOM H1での音声別撮り。
撮影OKだし許可取り要らないだろって、作ったものをTwitterに載せたような気がする。事情が事情でTwitterを手放す羽目になったけれど、モノノケノノモからフォローされた時の感動はそれは、もう。
ちゃんと後日『モノノケノノモ』に連絡を取って、必要ならBSPを出すとまで云ってくれてスタッフ枠で撮影を何回かした。
撮影の打ち合わせのために連絡先を交換して。「悪用しない、ファンに漏らさない」みたいな約束もなく。信用して貰えたみたいで嬉しかった。その信頼にこたえるために最低限以下位の業務連絡に留めているけれど。
「インディーズバンドの無償撮影」「機材だってしょぼい」と思われると心外なのだ。心外なファンは作家や声優や国内外に多いだろう。私からしたら、Youtubeに全国各地や海外からコメントなどが来るたびに、本当に微力ながらも、表現(技術)で貢献できたことがとても尊い。絶対に届かないと思っていた夢がひとつ叶ったのだ。
一旦保留にしてる次の夢「梨本うい氏と酒を飲みながら、一曲一曲ねちっこく称賛し続ける」に進めるように頑張ります。
10年前の自分に言っても絶対に信じて貰えないと思う。「お前のLINEのともだち欄にういちゃんがいるぞ」って。
それより壊れかけのスマホ直しな自分
2023.5.24 ゆ山 みどり